大阪高等裁判所 昭和48年(う)1449号 判決 1974年3月29日
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人大社哲緒作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。
控訴趣意一について。
論旨は、要するに、原判決が証拠として挙示しているメモ写しの原物たるメモは、本件とはまつたく別の恐喝被疑事件の捜索差押許可状により押収されたものであるところ、右捜索差押許可状には、差押の目的物として「本件に関係ある一、暴力団を標章する状、バッチ、メモ等、二、けん銃、ハトロン紙包の現金、三、銃砲刀剣類等」と記載されているが、前記メモは一目瞭然に賭博関係書類とわかるものであり、右恐喝被疑事件に関係ある物とはいえないから、右メモの押収は令状に記載された差押の目的物の範囲を逸脱してなされたものであり、したがつて、右メモは証拠能力のないものである。また、本件における他のほとんどすべての証拠も右メモに基づくものであるため証拠能力がなく、このような証拠能力のないものを証拠として採用し犯罪事実認定の資料に供した原審には、その訴訟手続に明らかに判決に影響を及ぼすべき法令の違反がある、というのである。
よつて検討するのに、記録によると、原判決が証拠として挙示しているメモ写し(司法警察員作成の「暴力団奥島連合組員を主体とした手本引博奕開張の資料入手について復命」と題する書面添付のもの)は、いわゆる暴力団である奥島連合奥島組の組員たる被告人らが、昭和四六年四月二四日頃から同年六月一七日頃までの間、連日のように賭博場を開張し、俗にいう手本引博奕をした際、開張日毎に、寺師や胴師の名前、張客のうちいわゆる側乗りした者の名前、寺銭その他の計算関係等を記録したものであること、昭和四七年二月八日奈良県天理警察署司法警察員は、石井、石太一こと朴鐘石に対する恐喝被疑事件につき奈良簡易裁判所に対し捜索差押許可状の発付を請求し、同日同裁判所裁判官は、同被疑事件につき、捜索すべき場所として「大阪市南区西櫓町一四番地奥島連合奥島組事務所および附属建物一切、差し押えるべき物として「本件に関係ある一、暴力団を標章する状、バッチ、メモ等、二、けん銃、ハトロン紙包の現金、三、銃砲刀剣類等」と記載した捜索差押許可状を発付したこと、右捜索差押許可状の請求書には、被疑事実の要旨として「暴力団奥島連合奥島組の若者頭補佐である前記朴および同組と親交のある竹田孝之が共謀のうえ、右朴において、昭和四七年二月二日午前八時ごろ奈良県天理市兵庫町三〇七番地の県会議員前川堯方に赴き、同人に対し『俺とお前の友達の藤谷とは昔からの友人や、藤谷はいま金がなくて生きるか死ぬかの境目や、藤谷を助けるために現金二、〇〇〇万円をすぐ準備せよ、俺は生命をかけて来た』と申し向けて所携の拳銃を同人の胸元に突きつけ、さらに『金ができるのかどうか二つに一つの返事や、金ができんのなら藤谷も死ぬやろう、俺も死ぬ、お前も死んでもらう』と申し向け、右要求に応じなければ射殺する勢を示して脅迫し、よつて、同日同所で同人から現金一、〇〇〇万円の交付を受けてこれを喝取した」旨記載されていたこと、天理警察署および奈良県警察本部の司法警察職員は、右捜索差押許可状により、同年二月一〇日前記奥島組事務所において、同組々長奥島徳夫立会のもとに、奥島連合名入りの腕章、ハッピおよび組員名簿等とともに前記メモ写しの原物たるメモ一九六枚を差し押えたこと、同年四月頃奈良県警察本部は、右メモ一九六枚の写しを作成し、これを奥島組々員による賭博ないし賭博開張図利の容疑事実の資料として所轄の大阪府警察本部に送付し、同府警および大阪地方検察庁はおいて右メモ写しに基づいて捜査を遂げ、同年一〇月一八日本件公訴の提起に及んだが、右メモ一九六枚中に本件公訴事実の賭博開張および賭博を記録したもの八枚が含まれていること、右メモ写しが添付されている司法警察員作成の前記復命書は、原審第二回公判廷において検察官より証拠調の請求がなされ、これに対し第三回公判廷において弁護人より所論と同様違法に収集された証拠であるから証拠能力がない旨の意見の陳述があり、第五回公判廷において弁護人から刑事訴訟法三二六条一項所定の同意があり、証拠決定および取調がなされたが、弁護人は第一〇回公判廷における弁論の際も所論と同旨の意見を陳述したことの各事実が認められる。
そして、記録に編綴されている右メモ写しを見てもわかるように、右メモが賭博の状況ないし寺銭等の計算関係を記録した賭博特有のメモであることは一見して明らかであるところ、右メモは、前記捜索差押許可状請求書記載の被疑事実から窺われるような恐喝被疑事件に関係があるものとはとうてい認められず、また「暴力団を標章する状、バッチ、メモ等」に該当するとも考えられないから、右メモの差押は、令状に差押の目的物として記載されていない物に対してなされた違法な措置であるといわざるをえず、その違法の程度も憲法三五条および刑事訴訟法二一九条一項所定の令状主義に違反するものであるから決して軽微であるとはいえず、そのうえ、弁護人は右メモ写しの証拠調につき異議を述べていたのであるから、かかる証拠を罪証に供することは刑事訴訟における適正手続を保障した憲法三一条の趣旨に照らし許されないものと解すべきである。
ところで、本件公訴事実は「被告人は、第一、昭和四六年六月四日ころ、大阪市西成区今池町四〇番地菊地次郎こと金竜周方において、賭博場を開張し、網野清文ら一〇数名の賭客を集合させ、引き札、張り札等を使用し、俗に『手本引』と称する賭銭博奕をさせ、同人らから寺銭を徴収して利を図り、第二、同月八日ころ、前記賭博場において、自ら胴師となり、金銭を賭し、右金竜周ら一〇数名の張り客を相手に、引き札、張り札等を使用し、俗に『手本引』と称する賭銭博奕をしたものである」というのであり、原判決認定の犯罪事実もほぼ右と同旨(第一の賭客の人数を一〇名位とし、第二の張り客を石太一ほか八名位とした点が異るのみ)のものであるところ、前記メモ写しとこれを利用して作成された被告人の供述調書との関係についてみるのに、記録によると、原判決の挙示する被告人の司法警察員に対する昭和四七年一〇月五日付および同月九日付各供述調書ならびに検察官に対する供述調書(同月六日付)中の前記各犯罪事実についての供述部分は、供述時が犯行時から一年四ケ月前後も経過していたこと、ならびに犯行が前記のように二ケ月弱の間連日のように行われていた賭場開張ないし賭博のうちの中間の二日分であること等から、右犯行日の賭場開張ないし賭博の具体的状況についてはほとんど記憶が失われており、そのため被告人に前記メモ写しのうち右犯行日の分を示し、その説明を求めるかたちで供述させたものであり、被告人としても、右メモ写しに基づかなければ、詳細な犯行の状況はもとより、当日被告人が寺師または胴師になつたこと自体も供述することができなかつたものと認められるのである。そして、右メモ写しが証拠として利用することが許されないものである以上、これと形式的には独立したものであつても、内容においてはメモ写しの説明にすぎないと認められる前記各供述部分もまた証拠として利用することが許されないものと解すべきである。(ちなみに、右各供述調書についても原審第一回公判廷において検察官の証拠調の請求に対し弁護人から異議が述べられている。)なお、原判決が挙示し、
あるいは原審において取調べられたその余の証拠によつては本件各公訴事実を認定することはできない。
右のように、原審の訴訟手続には前記メモ写しおよび被告人の前記各供述調書を証拠として取調べ、かつ犯罪事実認定の用に供した点において法令違反があり、その違反が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない。
よつて、その余の控訴趣意(量刑不当の主張)に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに次のとおり判決する。
本件公訴事実は前記のとおりであるところ、前記の次第により犯罪の証明がないこととなるので、刑事訴訟法四〇四条、三三六条により無罪の言渡をすることとし、主文のとおり判決する。
(今中五逸 児島武雄 青木暢茂)